昨日のつづき。
アスリートやアーティストみたいな、マスコミを通じて広く知られるような人たちにもこういうことがしょっちゅう起きていて、「それを受け入れちゃう方が楽」とか、「それもまた自分なんだろうな」みたいな言い方もよく聞くんだけどね。
よく見える浅い部分で起きていると思っていたもつれやねじれが、いつの間にか見えないところ、深い深い、手の届かないところまで沈み込んでしまう。
それが謎の不調に繋がったりするんだけど、そもそもの原因が本人にも見えなくなっちゃってるもんだから、「どこの病院もお手上げで」みたいな悲劇が出来上がってくのよね。抜け出す方法は(ここに!)あるんだけど、本人がもはや悲劇の方を欲しがっちゃってたりして。
冬季オリンピックの真っ最中でしょ。「アスリートを国に奉仕させるのが当たり前」みたいなこの国の雰囲気、いつまで続くんだろうね。
インターネットが普及して、国中がオリンピック一色みたいな時代じゃなくなっていくような気もするけど、炎上とかのね、新しい変な一体感もあるじゃない。
意志の強い、何かを貫き続けられるような人がね、多くの声ならまだしも、大きいだけの声に潰されるわけにはいかないのよ。だから「続けられなくなってしまう」という、悲劇的な理由を欲しがる。身体がそれに敏感に応えちゃう。
こういうねじれは何も、アスリートやアーティストに限ったことじゃなくてね。慢性の肩こりとか腰痛とか鼻炎とか、「治らない」「仕方ない」と思ってる症状の原因になってることが多いよ。
ただねー。信じないんだよな、そういう人たちって(笑)。付き合いが長いってだけで、「自分の症状は自分が一番分かってる」みたいな顔で威張ってんの。
「治りたくない」ってとこを認めさせるところから始めなきゃいけないからたーいへん。やるけどね、僕! それが仕事だからね!
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。