2017年8月21日月曜日

一重ちゃん

 昨日の続きね。

 すっかり二重になった立場で昔の自分の写真を見てみると、片二重っていうのかな。左目だけが二重になってるときっていうのが結構あって。「疲れると二重になる」とか言ったり言われたりしてたことを思い出したりする。自分を一重まぶただと規定してたときは、とにかくこう、二重な自分を認めないからね。誰がどう見ても二重な今だからこそ、すんなり受け入れられる過去(笑)。

 若い頃って無駄に潔癖だったりするから、片っぽだけ二重っていうのが気持ち悪いっていうか、落ち着かないっていうかね。左右対称でなきゃバランスが悪いような気がして、髪の毛も真ん中で分けることしか考えられない。それが今じゃ坊主頭ですよおじいさんふぇっふぇっふぇっ。

 数年前、小学校の同級生女子とひっさしぶり、十何年ぶりかで会ったときにまず言われたことが「大きくなったね!」で、次が「声変わりしてる!」、その次が「あっ、二重になってる」だった。周りというか、仲の良かった同級生のイメージの中でも、僕はしっかり一重まぶただったということが、何とも不思議な安心を与えてくれたんだよね。

 アイデンティティであったとしても、わざわざ無理して、勝手に独りで一重であろうとしたとかね、そういう生き方をしてたわけじゃないんだな小学生の僕。っていう。

 自分を知ってくれている人がいるってことは、とても幸せなことで。

 一重か二重か、整形か整形じゃないかなんてことが取り沙汰されるのも、人がいかに人の目を見て生きているかの表れだから、捨てたもんじゃないような。

 それでもカラコンが売れてしまう世の中が、いかに記号的な情報に振り回されているかの表れのようで、ふっと哀しくなるような。

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