2017年8月30日水曜日

サラダそば3

 昨日「続・サラダそば」ってタイトルで書いたけどさ。『続・男はつらいよ』みたいなさ、「続・ナントカ」っていうタイトル見なくなったよね。いや、そんなことよりサラダそば続くのかよっていう。

 妻はね、冷やし中華が好きなのですよ。僕は冷やし中華は別に、今後一切食べられないとしてもまあ、特に慌てたりはしない感じで。妻がどんなにおいしそうに冷やし中華を食べていたとしても、一口ちょうだい的な気分は生まれないのです。

 そんな妻が「海老と野菜のさっぱりサラダ麺」のつゆ(何か知らないけどフランス料理のシェフばりに「ソース」って言ってた)を味見させてくれと言うので、させたのですよ。

 その瞬間、ああそうかと、急に理解したのです。

 冷やし中華にあって盛りそばにないものが、サラダそばに追加されているのだと。ごま油のこってりしたコクと、お酢の酸味と、具の彩りとがね。マヨネーズとサラダを足すだけで、江戸時代にはなかったであろう、現代的な夏らしい装いをっ、日本そばが手に入れるのだとっ。父ジオンの許に召されるであろうとっ。

 『美味しんぼ』の海原雄山は、カツオの刺身にマヨネーズなど言語道断だと鼻で笑ったり激怒したりして、でも食べたらおいしくて、それが面白くなくてぷんすかぷんすか帰って行っちゃって。作中では「カツオに飽きた漁師さんが始めた食べ方」だと説明されていたけど、そういやサラダそばって誰が始めたのかなと、マヨネーズを見ては思うのであります。

2017年8月29日火曜日

続・サラダそば

 記事を書いたら「海老と野菜のサラダ麺」への

 つのる想いは日ましにふくれ上がり
 こんな 愛の表現もいいだろうと 
 二日連続で ガストの扉を開けたのです
 そしたら 期待通りのおいしさで
 待っててくれた
 サラダ麺がいたのです

 あ、これはASKA(当時飛鳥涼名義)の散文詩、「愛の表現」の盗作です。初めて読んだときの衝撃ったらなかったなあ。

 それから十年? 十五年?

 とにかく結構経ってから、当時まだ妻でなかった妻がアメリカにちょこっと旅立つという朝。先回りして向こうの最寄り駅の改札で待ち伏せして驚かせてやろうと思ったら、本人は予定よりずっと早い電車に乗って成田に向かってて、何かもう、とにかく怒られたなあ。ははははは。

2017年8月28日月曜日

サラダそば

 知る人ぞ知る隠れた名店、ガイドブックにも絶対載っていないガストにて「糖質控えめ・海老と野菜のさっぱりサラダ麺」を食べた。何気なく頼んだつもりが思った以上に好きな味で、何だかこう、コントロールできないうふふ感がこみ上げてきた。ちょいちょい「おいしくなさそうに食べる」と言われてきた僕なので、その喜びが顔に出ていたかどうかは分からないけど。

 「サラダそば」を知ったのは、小学校の給食でだった。衝撃とか驚愕とか以前に、意味不明だった。

 ソフト麺にサラダ、そして付いてくるマヨネーズ。一人前ずつのパウチ(あれパウチでいいのか?)だったかなあ、大きいボトル(あれボトルでいいのか?)をクラスで回したんだったかなあ。何か、どっちのパターンもあったような気がする。

 クラスの大半が「気持ち悪ーい」みたいなリアクションだったけど、僕は結構、すぐ試す側の人間で。

 小学生に味の想像なんかつくわけないんだけど、それにしたってあんれまあ、食べてびっくりおじいさん。そばつゆとマヨネーズの酸味やらまろやかさやらが一体となったときの、あの不思議なバランスね。一口で好きになって、「マヨネーズもっとかけよう」ってボトルを手に取った記憶があるから、うん、ボトルのときもあった。企画した給食室としてもテストで、最初はかけたい子だけかければいいみたいな感じだったのかなあ。

 この新しい味が気に入った僕は、うちの晩ご飯が盛りそばのときに「いやっほーい」とマヨネーズをかけて、それはそれは、たいそう気持ち悪がられたのでありましたとさ。

2017年8月21日月曜日

一重ちゃん

 昨日の続きね。

 すっかり二重になった立場で昔の自分の写真を見てみると、片二重っていうのかな。左目だけが二重になってるときっていうのが結構あって。「疲れると二重になる」とか言ったり言われたりしてたことを思い出したりする。自分を一重まぶただと規定してたときは、とにかくこう、二重な自分を認めないからね。誰がどう見ても二重な今だからこそ、すんなり受け入れられる過去(笑)。

 若い頃って無駄に潔癖だったりするから、片っぽだけ二重っていうのが気持ち悪いっていうか、落ち着かないっていうかね。左右対称でなきゃバランスが悪いような気がして、髪の毛も真ん中で分けることしか考えられない。それが今じゃ坊主頭ですよおじいさんふぇっふぇっふぇっ。

 数年前、小学校の同級生女子とひっさしぶり、十何年ぶりかで会ったときにまず言われたことが「大きくなったね!」で、次が「声変わりしてる!」、その次が「あっ、二重になってる」だった。周りというか、仲の良かった同級生のイメージの中でも、僕はしっかり一重まぶただったということが、何とも不思議な安心を与えてくれたんだよね。

 アイデンティティであったとしても、わざわざ無理して、勝手に独りで一重であろうとしたとかね、そういう生き方をしてたわけじゃないんだな小学生の僕。っていう。

 自分を知ってくれている人がいるってことは、とても幸せなことで。

 一重か二重か、整形か整形じゃないかなんてことが取り沙汰されるのも、人がいかに人の目を見て生きているかの表れだから、捨てたもんじゃないような。

 それでもカラコンが売れてしまう世の中が、いかに記号的な情報に振り回されているかの表れのようで、ふっと哀しくなるような。

2017年8月20日日曜日

FUTAEちゃん

 弟の目が「ぱっちり二重」だったのもあって、自分の一重まぶたは自然とこう、僕のアイデンティティになっていた。妹もまたHITOE、いや一重だったから、「お兄ちゃんと妹さんはお母さん似ね」みたいな言い方をよくされていて、そういうつもりで生きていた。

 ところが、妹が高校に通っているうちに二重になってしまった。

 アルバイトで金がかゆいところに届くようになった、ではなくて。

 アレルギーで目がかゆいとこすっているうちに、なんか二重になってしまったという流れ。

 そんな馬鹿な、と思っていたら、僕も二十代のどこかで二重になってしまった。

 一重まぶたを自分らしいと思っていたので、「鏡を見て二重になっていたら必死こいて戻す」という闘いを日々繰り返して抵抗してたんだけど、ある日とうとう、どうやっても戻らない現実を認めなくてはならなくなった。

 その容姿が天然かそうでないのかという騒動は今日もどこかで発生してるんだろうけど、「望むと望まざるとにかかわらず、自然に二重まぶたになっちゃうってことはある」を身をもって体験してると、「同じ理由で今は二重だったり、誰かの整形問題に冷静に意見するけど、全然信じてもらえない人」がどのくらいいるんだろうなという方に興味が湧くよね。

 明日に続くよね。

2017年8月16日水曜日

気に入っても一人

 昨日の記事「森永のおいしい無脂肪乳がおいしい」の中で書いた、「牛乳瓢箪(ぎゅうにゅうびょうたん;気に入ったから読み仮名書く)」と「ねへぺろ」って言葉が気に入った。自分で書いて。何かじわじわ気に入った。

2017年8月15日火曜日

森永のおいしい無脂肪乳がおいしい

 牛乳売り場を見るたびに、無脂肪乳がいかに人気のない商品かということを思い知らされる。牛乳や低脂肪乳は「必ず置いてある」だけでなく、複数の銘柄から選べるようになっていることが多い。

 無脂肪乳はといえば、置いていないことも多いし、あるとしてもタカナシの「おいしい無脂肪乳」で、何かこう、鉄板商品みたいな扱いだなと思う。みんな大好きタカナシなのかなと。人気あるんだったらそれ買っとけばいいのかなと。

 だが断る。

 それしかないから結果的にそれが売れてるに過ぎないって側面もあるもん。無脂肪乳しか飲めない人は、どんな銘柄でも置いてあるだけでラッキーと思うもんだもん。もんだもんだもんだもん。

 僕は「森永のおいしい無脂肪乳」を推すもん。

 圧倒的に牛乳くさくない。荒川弘の漫画『百姓貴族』で「牛乳くさいのは高温殺菌のせい」みたいなのを読んだ僕は、「牛乳くさいのが苦手ならそれは牛乳を好きではないということだ」が真理ではないと知った(頭悪そう)。その立場からすれば、タカナシなどまだまだ牛乳くさい、牛乳瓢箪なのだァァァァッ!!

 牛乳の一般的な殺菌工程が牛乳の風味に問題を生むのであれば、何も生乳にこだわるこたあない、加工乳でもおいしければ良かろうなのだァァァァッと思う。んだもん。

 そんなこんなで、「森永の美味しい無脂肪乳」が置いてあると、「この店やるねえ、お客さんの声を拾ってるねえ」と思う。もちろん、個人の感想としてだけどねへぺろ。