手を痛める、足を痛める。怪我じゃなくっても、水虫とか湿疹とか、何かしびれるとか痛みが走るとか、今日もどこかで誰かの手足に、色んな不調が出ていることでしょう。
よく使うところだから、物理的なトラブルだと捉えやすい手足。長引いている痛みや不調なんかは「古傷」なんて言って、「仕方がない」って感じで処理されちゃう。定着している言い回しだと、何かその、「世の中にはそういうことがあるんだよ」みたいな受け入れられ方をする。周りも本人も、なーんかすんなり受け入れる。
そういう症例を見ると僕なんかはもう、すぐに「いやいやいやいや、ちょっと待ってよ」と思っちゃうけど、当の本人はすっかり切腹前の武士みたいな穏やかさで受け入れ顔。何なのその、達観してりゃいい、場合によってはかっこいいでしょ大人でしょみたいな感じは。
じゃあいいよ、これならどうだ。
古くからの言い回しには、「手を切る」とか「足を洗う」っていうのもありますわね。縁を切らなきゃいけない人間だとか、やめなきゃいけない習慣がある。この習慣ってのが厄介で、本人からすると「仕方ない」とか「でもまあ、そういう訳にもいかない」みたいなね。やめる気がないし、悪いことだとも思ってないんだね。
やめりゃいいって言われたこともやめないで、「(この症状とは)付き合っていくしかないのかなーと思ってます」なんてね、真面目な顔して言っちゃう人が本当に多い。そういうおかしな真面目さと、「古傷」だとか「慢性」だとか、ぼんやりしてるくせに、いやぼんやりしてるからこそ適用範囲が妙に広くて、大義名分みたいになっちゃってる言い回しってのはもう、腐れ縁みたいな相性の良さでね。
変に真面目な人だから、「長い付き合い」を大事にする。手を切ったり、足を洗ったりっていうのが苦手で、古傷だの慢性だのともう、どんどんどんどん仲良くなっちゃう。病院にもちゃんと通うしね、そういう人は。真面目の使い方をちょこーっと変えてやればいいんだけどね。
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