カレーじゃなくって、「二日目のおでん」でもいいんですけどね。
「二日目の」っていう時点で、まあ大抵の人にとって「家で作った」って意味になるでしょう。一般家庭の平均としてカレーが何日持つかは分からないけど、三日目を迎えることが多ければ「うちのカレー」は二日目以降のイメージが強くなる。それがそのまま「うちのカレーの味」として記憶され、語られていくという。
まあ、そういうつまらない話をしてもしょうがない。
カレーっていうのは油脂やスパイスを含めると、結構な数の材料からできてるわけです。それを肉を炒めて、野菜を炒めて、水入れてっていう鍋に投入して、パッケージに書かれた時間を意識しながら煮込む。
色んなところからやってきた人たちが一つの鍋で、一つの料理になる。これは材料たちにとって、結構大変なことなんですな。「書かれた通りにしときゃカレーになるだろう」とか、「カレーなんて誰が作っても同じ味」とか、そんな簡単なことじゃない。
タマネギの立場になってみましょうか。切られて形が変わる。炒められるときに熱と油、先にいた牛肉やら豚肉やらと一つになる。これだけでも結構な変化を求められるのに、さらに水と一体化することを求められ、炒められたときとはまた別の油脂、スパイス、素敵なものいーっぱいと仲良くならなきゃいけない。
材料にはそれぞれが持つエネルギーやリズム、まあざっくり言えば「気」があって、それぞれに相性もあるわけです。みんなが溶け合って一つの料理、新しいエネルギーに変化するには、それなりに時間がかかる。
みんなに楽しみにされてる間、材料たちはその愛情もエネルギーとして受け取って、じっくりおいしく、優しい一つのカレーになっていくわけです。
「やった、明日もカレーがある!」っていう思いはその家、家族一人ひとりの形があって、それもちゃーんと材料になる。母が子ににぎるおにぎりと同じように、うちのカレー、二日目のカレーは奥深く、豊かなおいしさなのであります。
2017年7月13日木曜日
2017年7月11日火曜日
手を切る、足を洗う
手を痛める、足を痛める。怪我じゃなくっても、水虫とか湿疹とか、何かしびれるとか痛みが走るとか、今日もどこかで誰かの手足に、色んな不調が出ていることでしょう。
よく使うところだから、物理的なトラブルだと捉えやすい手足。長引いている痛みや不調なんかは「古傷」なんて言って、「仕方がない」って感じで処理されちゃう。定着している言い回しだと、何かその、「世の中にはそういうことがあるんだよ」みたいな受け入れられ方をする。周りも本人も、なーんかすんなり受け入れる。
そういう症例を見ると僕なんかはもう、すぐに「いやいやいやいや、ちょっと待ってよ」と思っちゃうけど、当の本人はすっかり切腹前の武士みたいな穏やかさで受け入れ顔。何なのその、達観してりゃいい、場合によってはかっこいいでしょ大人でしょみたいな感じは。
じゃあいいよ、これならどうだ。
古くからの言い回しには、「手を切る」とか「足を洗う」っていうのもありますわね。縁を切らなきゃいけない人間だとか、やめなきゃいけない習慣がある。この習慣ってのが厄介で、本人からすると「仕方ない」とか「でもまあ、そういう訳にもいかない」みたいなね。やめる気がないし、悪いことだとも思ってないんだね。
やめりゃいいって言われたこともやめないで、「(この症状とは)付き合っていくしかないのかなーと思ってます」なんてね、真面目な顔して言っちゃう人が本当に多い。そういうおかしな真面目さと、「古傷」だとか「慢性」だとか、ぼんやりしてるくせに、いやぼんやりしてるからこそ適用範囲が妙に広くて、大義名分みたいになっちゃってる言い回しってのはもう、腐れ縁みたいな相性の良さでね。
変に真面目な人だから、「長い付き合い」を大事にする。手を切ったり、足を洗ったりっていうのが苦手で、古傷だの慢性だのともう、どんどんどんどん仲良くなっちゃう。病院にもちゃんと通うしね、そういう人は。真面目の使い方をちょこーっと変えてやればいいんだけどね。
よく使うところだから、物理的なトラブルだと捉えやすい手足。長引いている痛みや不調なんかは「古傷」なんて言って、「仕方がない」って感じで処理されちゃう。定着している言い回しだと、何かその、「世の中にはそういうことがあるんだよ」みたいな受け入れられ方をする。周りも本人も、なーんかすんなり受け入れる。
そういう症例を見ると僕なんかはもう、すぐに「いやいやいやいや、ちょっと待ってよ」と思っちゃうけど、当の本人はすっかり切腹前の武士みたいな穏やかさで受け入れ顔。何なのその、達観してりゃいい、場合によってはかっこいいでしょ大人でしょみたいな感じは。
じゃあいいよ、これならどうだ。
古くからの言い回しには、「手を切る」とか「足を洗う」っていうのもありますわね。縁を切らなきゃいけない人間だとか、やめなきゃいけない習慣がある。この習慣ってのが厄介で、本人からすると「仕方ない」とか「でもまあ、そういう訳にもいかない」みたいなね。やめる気がないし、悪いことだとも思ってないんだね。
やめりゃいいって言われたこともやめないで、「(この症状とは)付き合っていくしかないのかなーと思ってます」なんてね、真面目な顔して言っちゃう人が本当に多い。そういうおかしな真面目さと、「古傷」だとか「慢性」だとか、ぼんやりしてるくせに、いやぼんやりしてるからこそ適用範囲が妙に広くて、大義名分みたいになっちゃってる言い回しってのはもう、腐れ縁みたいな相性の良さでね。
変に真面目な人だから、「長い付き合い」を大事にする。手を切ったり、足を洗ったりっていうのが苦手で、古傷だの慢性だのともう、どんどんどんどん仲良くなっちゃう。病院にもちゃんと通うしね、そういう人は。真面目の使い方をちょこーっと変えてやればいいんだけどね。
2017年7月10日月曜日
水虫
水虫になると、「原因は白癬菌ですから、殺菌しつつ足を清潔にしましょう」というのがまあ、一般的な話。
で、感染源はどこでしょうね、バスマットを共有していますかとか、玄関マットはお使いですかとか、そんな展開になります。
そうするとこう、家族間で犯人捜しが始まったりしてね。「お父さんの後にバスマット使っちゃ駄目よヒソヒソヒソ」みたいな空気になってくる。いやこれ、別にお父さんじゃなくってもいいし、「水虫といえばお父さん」的なイメージのせいで女の人が言いにくくなって、密室的に広まっていくという、実はこれが水虫の恐ろしいところなんだけど。
水虫のことをジメジメと扱うからいけないんで、カラッとオープンに扱えば簡単に治ったりする。今の人たちは真面目だから、みんな真面目に検索して真面目に治療しようと考えるんだけど、家や家族間の風通しを良くすることの方がよっぽど大事なんです。
お医者さんに言われた通りにしてるのに治りが悪いなーっていうときは、そんなことも気にしてみると面白くなりますよ。
で、感染源はどこでしょうね、バスマットを共有していますかとか、玄関マットはお使いですかとか、そんな展開になります。
そうするとこう、家族間で犯人捜しが始まったりしてね。「お父さんの後にバスマット使っちゃ駄目よヒソヒソヒソ」みたいな空気になってくる。いやこれ、別にお父さんじゃなくってもいいし、「水虫といえばお父さん」的なイメージのせいで女の人が言いにくくなって、密室的に広まっていくという、実はこれが水虫の恐ろしいところなんだけど。
水虫のことをジメジメと扱うからいけないんで、カラッとオープンに扱えば簡単に治ったりする。今の人たちは真面目だから、みんな真面目に検索して真面目に治療しようと考えるんだけど、家や家族間の風通しを良くすることの方がよっぽど大事なんです。
お医者さんに言われた通りにしてるのに治りが悪いなーっていうときは、そんなことも気にしてみると面白くなりますよ。
2017年7月7日金曜日
おにぎり、気と衛生
みんな好き おにぎり、おむすび、 握り飯。
広辞苑で「おむすび」って調べたら出て来たんで書いてみたんですけど、握り飯って聞かないですね、最近。「あ、ちょっとコンビニで握り飯買ってきて」みたいな。「めし」ってお前。粗野か。
「メシ食おうぜ」って言われると食欲が消え失せるのは僕だけですかね。潔癖っぽいですかね。
あっ、そうそう(大声で手を叩いてパーン)、潔癖っていえばね!
おにぎりを透明な手袋でにぎる、みたいな光景。あれもう、すっかり当たり前っぽくなってきましたね。あと何? 「おにぎらず」? 誰だお前。らずじゃねんだよ、おにぎれよ。
おにぎり汚いみたいなこと言う奴は死nおほんおほん、おほほほーん。
誰かを思ってにぎるおにぎりは美しいんです。
今日は七夕。夜空を見上げてつぶやいてごらんなさい。
「誰かを思ってにぎるおにぎりは美しい。」
ほーら、涙が出てきたでしょう。
子どものために母親がにぎる、夫のために妻がにぎる。そういうね、顔の見えるおにぎりは食中毒とは無塩、あっ、そうそう塩。
にぎるときにね、手に塩するでしょ。味がどうとかじゃなくて、あれお清めでね。塩は良いもの、誰かを思う気持ちと結びついて、おにぎりを気力充実スーパーフードに昇華させるんですね。
殺菌とか消毒とか、そういうこと考えながらにぎると駄目です。
あーちくしょう、めんどくせえなあって考えてたら駄目です。
仕事としてにぎるおにぎりとか、誰かのためににぎったのに、横取りされるかもしれないおにぎりとか、そういうのはまあ、透明な手袋を使ってもいいかも。
シンプルな料理ほど、腕というか、気持ちの違いが出ます。顔が見える料理っていうのは凄く大事。おにぎりなんて料理じゃないよという奴は死nごほんごほん。
広辞苑で「おむすび」って調べたら出て来たんで書いてみたんですけど、握り飯って聞かないですね、最近。「あ、ちょっとコンビニで握り飯買ってきて」みたいな。「めし」ってお前。粗野か。
「メシ食おうぜ」って言われると食欲が消え失せるのは僕だけですかね。潔癖っぽいですかね。
あっ、そうそう(大声で手を叩いてパーン)、潔癖っていえばね!
おにぎりを透明な手袋でにぎる、みたいな光景。あれもう、すっかり当たり前っぽくなってきましたね。あと何? 「おにぎらず」? 誰だお前。らずじゃねんだよ、おにぎれよ。
おにぎり汚いみたいなこと言う奴は死nおほんおほん、おほほほーん。
誰かを思ってにぎるおにぎりは美しいんです。
今日は七夕。夜空を見上げてつぶやいてごらんなさい。
「誰かを思ってにぎるおにぎりは美しい。」
ほーら、涙が出てきたでしょう。
子どものために母親がにぎる、夫のために妻がにぎる。そういうね、顔の見えるおにぎりは食中毒とは無塩、あっ、そうそう塩。
にぎるときにね、手に塩するでしょ。味がどうとかじゃなくて、あれお清めでね。塩は良いもの、誰かを思う気持ちと結びついて、おにぎりを気力充実スーパーフードに昇華させるんですね。
殺菌とか消毒とか、そういうこと考えながらにぎると駄目です。
あーちくしょう、めんどくせえなあって考えてたら駄目です。
仕事としてにぎるおにぎりとか、誰かのためににぎったのに、横取りされるかもしれないおにぎりとか、そういうのはまあ、透明な手袋を使ってもいいかも。
シンプルな料理ほど、腕というか、気持ちの違いが出ます。顔が見える料理っていうのは凄く大事。おにぎりなんて料理じゃないよという奴は死nごほんごほん。
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