2017年12月21日木曜日

体重と身体の重さ

 プロでもプロでなくても、「ベストな体重」を把握している人は多い。

 パワーをつけるために増量する。キレを取り戻すために減量する。前者だと「身体を大きくする」と言ったりするのに、後者を「小さくする」と言わないのはなぜだろう。まあいいか。

 体組成計も普及して、体重だけの話っていうのも少なくなっているとは思う。それでも、そこに表示される数値だけを目標にしてしまうと間違えるというか、失敗する。

 「身体が重いとき」でも書いたけど、ご飯とパン、各種麺類をひとくくりに「炭水化物」だとか糖質として扱うような食事はいけない。栄養士がついてるとか、奥さんが資格を持ってるとかいうのも、役に立たなかったり、実は物凄く足を引っ張ってしまったりする。

 食が「数値を実現するための材料」になってしまうと、その身体づくりは失敗する。

 同様の理由で、サプリメントをじゃらじゃら飲むようなコンディショニングもうまくいかない。摂り始めると癖になるというか、摂らないと不安になってしまうけど、だからこそ僕としては薦められない。

 毎日水を何リットル飲むとかも違う。

 数値目標ってのは分かりやすいし、共有しやすい。提示する側と実行する側との確認が容易だから、「やってますね」「やってるぞ」っていう安心感もある。

 食事制限とか体重制限とか、「制限」ってのはストイックな感じ、プロっぽい感じが出るから、本人も満足感を得やすい。日本人は特に、苦行が好きだしね。苦行やっとけば周りの人の目にも留まる。

 まあ、いかにプロといえども、見えないものを相手に戦い続けることは難しい。ただ、本人を動かすのはその心と身体であって、「気」とか感覚を磨くこと、その部分を共有できるスタッフを探すことが最優先なんだよね。

 それができている人が、結果的に「ほんの一握り」になるんだけど。

2017年12月19日火曜日

身体が重いとき

 何かだるいなーとか、身体が重いんだよなーということはきっと、誰にでもある。

 僕の場合、小麦粉を摂りすぎると重くなる。ご飯が続いても重くはならないけど、パンとか麺が続いてしまうと重ーくなる。

 小麦だけ、小麦粉だけを食べるってことは少なくて、ほぼもれなく油脂分がついてくるのも一因ではある。とは思う。でも、それが全てではないことも感じられる。

 糖質糖質と騒がれているけど、特定の栄養素だけで語れることは少ないし、「科学で証明された」からといって、目には見えない栄養素を見えたつもりになってしまうのは危ない。

 共有される文字情報が増えすぎて、感じる力っていうのが急速に失われている。

 だから、絵とか動画がコンテンツとして、特に若年層に人気なのは自然なことというか、少なくとも悪いことばかりじゃないよなと思う。

 アスリートとかアーティストの体調管理は、パフォーマンスと収入に(あまりにも)直結するから、「業界御用達」な医者やトレーニング、食材の情報の共有が、ちょっと閉じたような、特殊な形でなされる。

 誰にでもある程度効果のある方法が確立されていく一方で、個人に最適な方法が見落とされたり、不当に過小評価されたり。

 結局のところ、口コミはもう、口コミになった時点で最先端ではないし、独占できるお得な情報でもない。

 長く一流であり続けるアスリートやアーティストは、心や性格に合った柔らかい情報を見つけたり、選んだりできる。それもまた才能だと言ってしまえばそれまでだけど、雑音の絶対量自体が増えてるんでね。邪魔する奴が多すぎるんだよなと思わされる。「見つけてくれよ!」と願う。

2017年11月23日木曜日

お赤飯の日

 キャプテンじゃない方のスーパーマーケット(誰が分かるのか)に行ったら「11月23日はお赤飯の日」っていうのが目に入って驚いた。驚いたということは、初めて知ったということでありまして。検索してみたら2010年かららしいね。「お赤飯の日制定委員会」よりも立ち上げるべき委員会は山ほどあるような気がするけど、まあうーん、良くはないけどまあいいか。

 いやね、数日前に「赤飯投げる祭り」っていう見出しが目に入って、それだけでもうショックで。動画見てみたらやっぱりショッキングで。伝統とか文化はさておきっていうか、いや、さておいてはいけないっていう話も分からないではないんだけどさ。お赤飯を大事にしましょうっていう動きもあって良かったなと。

 お赤飯好きなんだよね。「ええっ、ごま塩かけていいんですか?」みたいなテンションの上がり方する。

 バンダイもしょうもない、アホみたいなデザインのシャア専用グッズばっかり作ってないで、シャア専用ご飯とかやればいいのに。日本のキャラクタービジネスって狭いよね。文化としての発信の仕方とか、やりようはいくらでもあるんだけどな。

2017年11月20日月曜日

惰性服

 やれ真冬の気温だ年末年始の気温だ体調管理に気をつけろというので、この秋になって初めて長袖を着た。

 厚着が嫌いというか、洋服が重いのが駄目だから、機能性衣類が増えたことがとても嬉しい。テクノロジー万歳。もう過去には戻れません。

 スーツとかも、もっと何とかならないのかなあと思うんだけどね。

 ビジネスにおけるグローバリズムや慣習がどうのこうのじゃなくって、「スーツ着ときゃ大丈夫(考えなくて済む)」っていうのが重要なんだよね、結局。

 だったらもういっそ、「見た目はスーツのままなんだけど軽くて柔らかい、日本のビジネスウェア」みたいなのを規格として制定しちゃえばいいのに。日本の気候風土には合わないよ、スーツも革靴も。

 「いいスーツは着心地が違います、重さは同じでもそれはもう驚くくらいに」じゃないの。そういう話をしたいんじゃないの僕は。

 「いい靴は高いですが、結局得をします」じゃないの。そういう話じゃないの。何で靴は足の形をしてないのかとかの方が気になるの。

 日本には四季がありますとか威張ってないでさ、気候風土に合わせて、ご当地正装みたいなのがあれば面白いのに。テクノロジーと組み合わせて新たな服飾文化を創造するとか、そういうのやらないよなこの国は。

 国のことはさておき。

 服とか靴が原因の心身の不調って多いのよ、本当。

2017年11月18日土曜日

ゆずみつサワー

 若い頃、二十代前半。ゆずみつサワーとたこわさが好きで、やたら居酒屋行ってた時期があったんだよね。何だったんだろうなあれ。

 弱くて飲めないっていうより、酔ってる自分が好きになれなくてやめたけど、また飲むときが来るんだろうか。

2017年11月17日金曜日

シュークリームの一口目

 ツインシュー的なシュークリームって結構あるじゃない。生クリーム(またはホイップクリーム、ときに生クリーム入りホイップクリーム、あとえっとえーっと)とカスタードクリーム、両方入ってますよっていう。

 あれの一口目がカスタード側だと、つい反対をかじりたくなる派。いや、かじりゃしないけどね、実際は。

 じゃあ最初からカスタードだけのを選べばいいじゃんっていうのは、またちょっと違う話になるんだよなあ。おしるこに塩入れる入れないみたいな、いや、それもまたちょっと違う。

 白いクリームから入って、黄色いクリームで終えるっていう流れが幸せ。

2017年11月13日月曜日

香水の使い方(二壜目)

 じゃあ何ですか奥さん、買っちゃった香水は全部捨てろっていうんですかキーキーキー。化粧品メーカーがその気になればあなたのブログなんて簡単に潰せるんですよカラコンメーカーだって黙ってませんよ何せ私が、この私が告げ口するんですからねけけけけけ。

 香水ねえ。どうしても使いたければ、「良い違和感」として利用するのがまあ、ぎりぎりの正解でしょう。

 初めて会う人に「言葉にならない印象」を残すためのささやかな、もうほんとにささやかなアシスタントとして用いるならいい。

 「あっ、自分は営業職なんで毎日使ってます! 正解っすよね!」

 不正解っす。

 自分にとっても「良い違和感であり続けること」が大事。今日は大一番だから、自分をよく見せたいから。そうやって理由を見つけて、毎日毎日付け続けたら意味がない。感覚が麻痺してしまって、気づかないうちに量が増えてしまう。

 「あっ、そうならないようにちゃんと、付ける量は決めてるんで。」

 付ける量でコントロールできるような問題じゃない、毎日変わるって書いてございますよ、前回の記事に

 自分の匂いを選ぶっていうのは、印象を過度に制限してしまうこと。「愛用の香水」を言えてしまう人は、セルフプロデュースという幻を過信しているか、まあ単純に外国かぶれ、……外国かぶれ! 外国かぶれって古いね。何だろうな。日本にハワイの砂運んできて「ビーチ」を造っちゃうみたいな、それ違うでしょって感じよ。

 自称香水上手さんはきっと、友人やスタッフ選びも下手でしょう。一流の友人やスタッフなら言ってくれるよ、「その匂い余計ですよ」って。「好きな匂いの人」、「好きな人の匂い」。印象ってのは相手に委ねられるから面白いのにね。

2017年11月12日日曜日

香水の使い方

 「好きな香りに包まれていたい」と言うと何やら素敵に聞こえるけど、香水を毎日付けるのはやめた方がいい。

 人にはそれぞれ、目立とうが目立つまいが独自の匂い(体臭ではない)があって、それはその日の体調や気候によっても微妙に、豊かに変化する。相手もまた、そういう見えない、言葉にならない情報を無意識に受け取っていて、あなたへの印象と理解をアナログ的に深めている。

 香水は自分で匂いの輪郭を決めつけて、相手が受け取る情報をわざわざ狭めてしまう、それはそれはもったいない、地獄のおしゃれアイテムなのでございます。えっ? 「地獄のおしゃれアイテム、他にはどんなものがあるか」でございますか? そうですね、代表的なところですと、もう皆さん大好き、カラコンがございますね。

 風向きや相手の嗅覚次第で効果の強弱も善し悪しももう、物凄く変化する。それをまあ、だいたいが鏡の前で(見えやしないのに)立ち止まって、付けてる自分の姿だけ確認したりしてね。結果は毎日異なるし、それをコントロールできる人なんていない。

 憧れのあの人や好きな人と同じ香水を付けてみても、同じ効果は得られない。「いいんです、自己満足ですから」という言葉が聞こえてくるけど、自己満足を無差別にばらまいて、孤独に生きていく覚悟はできているんだろうか。

 香水といえばマリリン・モンローの「シャネルの5番」。「何を着て寝るのか」という質問に対する答えが有名だけど、あれが本当だとすれば、そりゃ孤独を深めるだろうよと思う。国や文化、時代の違いがあるとしても、「眠るときくらい」という気分が見えるようで寂しくなる。

 匂いっていうのは漂うもの、空気を感じるものであって、自分で選ぶようなものじゃないんじゃないかね。

2017年10月14日土曜日

武蔵製菓のくりあん大福どら


 一目惚れみたいな感じで、ビジュアルの全てが気に入って即買い。

 栗あんっていう、季節感やごちそう感はあるけど味のインパクトにはちょっと欠ける素材に対して、餅入りじゃなくって餅で包む。そしてこのかわいいサイズ。

 「どら焼きは好きだけど、栗あんは別に」な僕を、見事にくるんじゃうおいしさでございました。

 「くりあん」とあるからには、くりあん以外もあるんだろうか。栗ならではの企画とバランスだなあと勝手に思っちゃうけど。

2017年10月10日火曜日

焼き芋研究の果てに

「おいしい焼き芋をご自宅でも食べたいです」と思って、あれこれあれこれああちくしょうこれでもかと試してたことがある。

 僕にとって「おいしそうなのに思ったほどのおいしさじゃないもの」の一つが焼き芋で、幼少の頃からずーっとすっきりしないままだったのよね。

 気がつけば家には温度調節ができるオーブントースターがあり、インターネットの時代になり、今こそおいしい焼き芋の夢が叶うんじゃないかと。

 たくさんのサツマイモ、たくさんの水、たくさんの電気代、そしてそこそこの焼き芋ホイル的なものが散っていきました。

 そして、現在に至るまでの僕の結論はと申しますと。

 「紅はるかを蒸かすのが一番」。そう、あなたがねっとり派ならね。関東は紅あずまが人気って誰が言ったの本当なの僕は信じないよそんなの。

 たまーにサツマイモを冷やしちゃってるスーパーなんかがあったりして、芋そのものが駄目になっちゃってる場合はどうにもならないけど、そこが問題なければもうね、紅はるかですよ紅はるか。蒸かすだけで間違いなくおいしい。「うわ何ここ焦げてるやだ皮ぺりぺりー」みたいな食べ方も見ずに済みますし、いやー、紅はるかを開発した人に感謝ですよ。紅はるかばんざーいわははははははははははゴロンゴロンゴロンゴッ、……しーん。

2017年9月29日金曜日

青魚が身体にいいかどうかは自分で考えるわい

 まああれですよ。僕くらいね、青魚が好きで然るべきみたいな人もそうそういないと思うわけですよ。「おいしいおいしい」と言いながら食べてると「わー共食いだー」とか言う人もいそうだけど、何か世代が限られそうな言い方だなとかね。

 紫って聞いても普通だけど、青紫って聞くと「おっ」。

 緑って聞いても普通だけど、青緑って聞くと「おおっ」。

 パナソニックって聞いても普通だけど、青っぱなって聞くと「お、おお……」。

 だからね、青魚って聞くだけで「あーんお寿司食べたーいん連れてってえーん」みたいな感じになっても良さそうなもんなんだけど。

 駄目なのね。じんましんとか別に出ないけど、食べた後のもたれがもう。若くないとかじゃなくってもう、昔っから駄目。

 そういうもんなのかなと思って「魚も食べなきゃねうふふ」的な感じで意識的に摂ったりもしてたけど、これはもう、身体がいらないと言ってますよね。

 身体にいい、健康効果健康効果驚きの健康効果今日から早速毎日毎晩ご家庭で簡単にみたいなね、横並びの情報が大爆走しておりますけれども。

 「胸焼けする人が無理して食べ続けた驚きの結果」とかないのかね。

 結婚披露宴でも筋力トレーニングでも、スポーツの練習や勉強の仕方でも、データとか先輩とか伝統とか経験を優先して、その人を見るっていうのが置き去りなことが多いよね、未だに。「一般的に」を採用しておけば無難だし考えなくていいし、まあリスク回避もあるんだろうけど。

2017年9月26日火曜日

中村屋の黒光最中

 「あ、もなか食べたい」と思って、何気なく買った中村屋の黒光最中。ぱりぱりぺりぺりと包みを開けて、普通のもなかのつもりで一口。

 あれ、黒糖?

 それもそのはず、原材料には砂糖の次に黒糖の文字。幼い頃から黒糖という言葉に弱いワタクシですから、知らずに手に入った黒糖の味に小躍り。片手にもなかを握ったままの小躍りだったもんだから、砕けたもなかの粉があたりに飛び散ってもう大変。あ、もちろん嘘ですよ。

 黒糖が入ってるってことはこれ、「くろみつもなか」って読むのかしらと思って調べてみたら、「こっこうもなか」だった。

 御馳走様、大変美味しゅう御座いました。

 ……っていうノリになっていったりして。食べものの記事多すぎて。

2017年9月25日月曜日

梨の芯

 梨が好きでなかったはずの妻まで、「皮ごと食べる梨」にすっかりハマってしまいました。

 会話も少なくなり、たまに口を開けば喧嘩ばかりだった私たちですが、梨を皮ごと食べるようになってからは笑い声の絶えない家になり、鳥たちは歌い、動物たちは終わることのない春を謳歌。花は美しく咲き誇り、草木も眠る丑三つ時には繋いでいないはずの固定電話がひっきりなしに鳴るようになりました。すべて梨の皮のおかげです。親兄弟から通りすがりの人たちに至るまで、見境なく勧めています。皆さん必ず笑顔で足早に。

 ええっと、何だっけ。

 あ、そうそう。

 考えもなく剥いてハムスターにあげるか捨てるかしていた皮を捨てずに済むということは、僕としてはとても気持ちのいいことで。

 ハムスターがいない今、芯もちょっと気になるわけ。「可食部」から切り離した芯をね、ごみ箱に入れる、そこに落ちるときの音が嫌なんだよね。何か悲しくなる。

 果物のおいしいところだけ食べてポイッと落とすサルの映像が、頭の中で繰り返し再生される。

 これはきっと病気だから病院に行こう、じゃなくって。

 皮を食べて芯を検討しないのはおかしいじゃんと、かじってみたのよ。知ってたつもりでも酸っぱい。酸っぱいの好きなのに、何だろう。レモンかじっても何とも思わないくらい酸っぱいの好きで変人扱いされることも多々あるのに、酸っぱいと感じる。

 しゃりしゃりっていうか軽くごりごりした感じの歯触りやら歯ごたえやらの向こうにある酸味っていうのが新鮮で、豊水なんかはもう、うひょひょ酸っぱいみたいな感じ。青梨とか赤梨とか、種類なんかでも結構違うのかな。

 食味がいいとは言わないんだろうけど、僕は結構おいしく食べた。人に勧めはしないけどね。切り分けながら食べちゃう分には全然、「やあ聞いてるよ、キミも今日から可食部員だハハハ」的な、さわやかな発見。

2017年9月20日水曜日

汚されたソフトクリーム

 「ソフトクリームの機械が洗浄中で、ソフトクリームの代わりに抹茶アイスを乗せるという形になってしまうんですが」という声が聞こえてきた。

 「ソフトクリーム」にはほぼ自動で反応してしまう僕である。さあどうするんだいお客さん、僕だったらそうだねえと耳がダンボに、誰だこの言い回しを最初に始めた奴はそういえばダンボーって何なのか未だにちゃんと知らないんだけど何なのあれ知らなくてもいいの。

 注文しようとしたのは女性客。てっぺんにソフトクリームが乗っているパフェ、その写真を見て頼もうとしたら今日はソフトクリームが出せないという。それは迷う。それは悩む。

 すると連れの男性客が

「代わりに抹茶ソフトクリームになるんだって」

 ……そんなことは一っっっ言も言ってねえだろうが店員さんはっ!

 うふふあたいったら駄目ねうふふ、ソフトクリームになるとついつい熱くなっちゃって。ソフトクリームに対して適当なこと言う人見るとつい、ね。

2017年9月19日火曜日

梨の皮

 梨をもらった。

 幼い頃からの好物で、初めて食べたときの感動と、「梨というものがあるのになぜりんごがあるのだろう」という乱暴な感想を今でも覚えている。

 そこからしばらく生き続けてみたら、皮ごと食べられるりんご(ひらがなの方がおいしそう)の価値に気づいたんでね。長生きはしてみるもんですよね。

 小学生のときにね。細かいシチュエーションは覚えてないんだけど、梨をね、丸かじりさせられるっていうことがあったんだよね。大好きな果物を、望まない形で食べさせられるっていう、神経質な少年にとって耐えがたい出来事が。

 「本当はこうやって食べたいのに」っていう強いこだわりと悔しさと、少年の中の「梨のおいしさ」の対極にある、皮のざりざりした感触。

 そのときに固定されちゃったんだろうね、「梨は皮をむくもの」っていう考えが。

 だけど目の前に梨が三個並んだときに、「皮ごと食べたいな」と。何でもね、なるべく丸ごと食べたいなって思うから、今は。

 食べたらさ。

 おいしいのね、皮ごと食べても。ちょっと柔らかくなっちゃってたのも幸いだったのか、和梨に欠かせないしゃりしゃりした歯触りがこう、皮によって補強されて。食べたら身体がかーっと熱くなって。

 検索してみたら何ですか、代謝を活発にする成分が皮に含まれているらしいんですってよ奥さん。いやー、食べてみるもんだね。

2017年9月14日木曜日

蒸かし野郎

 紀の国屋のあわ大福が好きなんどす。……いや、自分でも食べものっていうか、甘いものの話ばっかりだなって思うんで、京都っぽく書けば違って読めるかなと。

 えっと。

 そうそう、あわ大福。自分で買ったことはなくって。ときどきね、いただくんです。箱に三つ入ったのをね。妻と一つずつ食べて、とりあえず一つ余る。味が濃いから、いや、濃厚な味わいだから、続けてもう一つ食べるざますよ甘いもの大好きざますから、とはならない。

 本物の和菓子だから、ちょっと経つともう、固くなる。

 凍らせようか、でも凍ってるあわ大福なんて見たくないしという訳の分からない思いもあって、そのまま固くならせておく。

 それをね、わざわざ蒸かすのが楽しいよね! 「むす」んじゃなくって「ふかす」って言いたいよね!

 ね!

 明け方に独り、蒸し器を出して、たった一つのあわ大福を蒸かします。

 餅と粟による皮が分厚いので、焦らずゆっくり蒸かします。


 ……ZenFone 3で撮ったら色が違うな。高いハンバーガーに見えるのはなぜだ。

 それ以外に後悔はない。

 みはしに行ったとき、妻が「粟ぜんざいも食べたいなー」と言っていたな。粟ぜんざいを食べたような気にもなれる、ワタシだけの贅沢な逸品ねうふふ。

2017年9月13日水曜日

ダイエットじゃないんすよ

 タカナシに恨みはないけど、なぜこうもタカナシばかりなんだと「無脂肪乳」で検索しようとするとすぐ、「無脂肪乳 ダイエット」が表示される。

 僕が無脂肪乳無脂肪乳言ってるのは別に、痩せたいとか太りたくないとかではなくてですね。単純にもう、乳脂肪が合わない。だったら無理して摂らんでもというのはあるけど、「摂ってて良かった(たぶん)」と思うことも多いんでね。

 甘いものが好きだけど、生クリームは昔から苦手で。場合によってはもう、震えるほど苦手で。ド定番のいちごのショートケーキなんかね、やっぱりこう、食べたくなるときがあるじゃないですか。食べたかったから食べたのに、食べたくて食べたくて震えるんじゃなくって、生クリームが合わなくて震えちゃう。これはたいそう寂しゅうございます。

 それがね、普段摂るものを無脂肪乳にしとくとね。何かちょっと、生クリーム大丈夫な場面が増えてくる。狙ってやってたことじゃないから嬉しいよね。

 ……だとすると。

 「卵黄だけを贅沢に」が引っかかるってのは甚だ身勝手ということになってくるのだろうか。「卵黄だけを贅沢に使ったお菓子に罪悪感があるなら、一緒にメレンゲクッキーを食べたらいいじゃない」と、マリー・アントワネットが言いました。(※個人の作り話です)。

2017年9月12日火曜日

我が生涯に一片の卵白なし

 「卵黄だけを贅沢に使用」って言われるとテンションが下がる。

 即座に「で、卵白はどうしたの?」と思ってしまう。

 お菓子屋さんだったらメレンゲとか、料理屋さんなら玉子スープとか、もちろんその、使い道は色々あるんだろうけど。

 「卵白だけを贅沢に使用」って聞かないような気がするのは僕だけか。何だろう、それも引っかかるのかなあ。「目玉焼きのどっちかだけ延々食べろ」って言われたら迷わず白身なのに、黄身よりも軽く扱われるのが嫌なのか。

 あ、いっぱい食べられない部分だけをわざわざ使うから贅沢なのか。

 いやー、でもなー。卵黄だけを贅沢にって言われると選ぶのやめちゃうんだよなー。

2017年9月10日日曜日

ソフトアイス

 ソフトアイスはさ、ソフトクリームじゃないよね。

 断じて。

2017年9月9日土曜日

ソフトクリーム

 ソフトクリームを思い浮かべるだけでテンションが上がる。

 ソフトクリームなら何でもいいんじゃなくって、「おいしいソフトクリーム」がいい。あっ、こう書くとあれでしょ、いかにもうるさそうでしょう。違うんですよ。僕だってね、食べるソフトクリームのすべてを好きになりたい。

 だけど、おいしくないソフトクリームっていうか、ソフトクリームなら何でもいいと思ってやがるなっていうソフトクリームがね、多いんですよ結構。

 「牛乳くささ」こそが牛乳の風味だと感じる人と、「牛乳くさくない」牛乳の方が好きだと感じる人とではね、乳製品に対する感覚が違うでしょうから。僕は後者なので、まあそういう好みになってきますわね。

 久しぶりにあんみつの「みはし」のソフトクリームを食べて、しみじみ「ああ、ここのがもう、断然好きだわー」と思った次第。

 週に何度も行くわけじゃないんで、単品じゃなく、クリームあんみつとして食べるんですがね。何でしょうねこのおいしさ。黒蜜風味で。おいしすぎて好きすぎて、今度はもうソフトクリームだけ頼んじゃおうかなと思うものの、食べ進めるともう、黒蜜もこしあんも求肥も寒天も全部おいしいもんだから、結局またクリームあんみつを頼んじゃう。

 っていう幸せの形。

2017年9月6日水曜日

口ひげ、いや口ほどにもない

 入り口に掲げてあるメニューに「胃もたれしない」って書いてあるから、そのカレー屋に入ったのです。安心して、そしてもちろん期待して。

 連日「カレー食べたい」と言っていた妻と、「もたれないならいいか」と思った僕。

 もたれたわ。二人とも相当もたれたわ。

 「もたれについて全然ちゃんと考えてないだろ」って思って、店っていうか、会社のサイト見たら納得したわ。

※個人の感想です

2017年8月30日水曜日

サラダそば3

 昨日「続・サラダそば」ってタイトルで書いたけどさ。『続・男はつらいよ』みたいなさ、「続・ナントカ」っていうタイトル見なくなったよね。いや、そんなことよりサラダそば続くのかよっていう。

 妻はね、冷やし中華が好きなのですよ。僕は冷やし中華は別に、今後一切食べられないとしてもまあ、特に慌てたりはしない感じで。妻がどんなにおいしそうに冷やし中華を食べていたとしても、一口ちょうだい的な気分は生まれないのです。

 そんな妻が「海老と野菜のさっぱりサラダ麺」のつゆ(何か知らないけどフランス料理のシェフばりに「ソース」って言ってた)を味見させてくれと言うので、させたのですよ。

 その瞬間、ああそうかと、急に理解したのです。

 冷やし中華にあって盛りそばにないものが、サラダそばに追加されているのだと。ごま油のこってりしたコクと、お酢の酸味と、具の彩りとがね。マヨネーズとサラダを足すだけで、江戸時代にはなかったであろう、現代的な夏らしい装いをっ、日本そばが手に入れるのだとっ。父ジオンの許に召されるであろうとっ。

 『美味しんぼ』の海原雄山は、カツオの刺身にマヨネーズなど言語道断だと鼻で笑ったり激怒したりして、でも食べたらおいしくて、それが面白くなくてぷんすかぷんすか帰って行っちゃって。作中では「カツオに飽きた漁師さんが始めた食べ方」だと説明されていたけど、そういやサラダそばって誰が始めたのかなと、マヨネーズを見ては思うのであります。

2017年8月29日火曜日

続・サラダそば

 記事を書いたら「海老と野菜のサラダ麺」への

 つのる想いは日ましにふくれ上がり
 こんな 愛の表現もいいだろうと 
 二日連続で ガストの扉を開けたのです
 そしたら 期待通りのおいしさで
 待っててくれた
 サラダ麺がいたのです

 あ、これはASKA(当時飛鳥涼名義)の散文詩、「愛の表現」の盗作です。初めて読んだときの衝撃ったらなかったなあ。

 それから十年? 十五年?

 とにかく結構経ってから、当時まだ妻でなかった妻がアメリカにちょこっと旅立つという朝。先回りして向こうの最寄り駅の改札で待ち伏せして驚かせてやろうと思ったら、本人は予定よりずっと早い電車に乗って成田に向かってて、何かもう、とにかく怒られたなあ。ははははは。

2017年8月28日月曜日

サラダそば

 知る人ぞ知る隠れた名店、ガイドブックにも絶対載っていないガストにて「糖質控えめ・海老と野菜のさっぱりサラダ麺」を食べた。何気なく頼んだつもりが思った以上に好きな味で、何だかこう、コントロールできないうふふ感がこみ上げてきた。ちょいちょい「おいしくなさそうに食べる」と言われてきた僕なので、その喜びが顔に出ていたかどうかは分からないけど。

 「サラダそば」を知ったのは、小学校の給食でだった。衝撃とか驚愕とか以前に、意味不明だった。

 ソフト麺にサラダ、そして付いてくるマヨネーズ。一人前ずつのパウチ(あれパウチでいいのか?)だったかなあ、大きいボトル(あれボトルでいいのか?)をクラスで回したんだったかなあ。何か、どっちのパターンもあったような気がする。

 クラスの大半が「気持ち悪ーい」みたいなリアクションだったけど、僕は結構、すぐ試す側の人間で。

 小学生に味の想像なんかつくわけないんだけど、それにしたってあんれまあ、食べてびっくりおじいさん。そばつゆとマヨネーズの酸味やらまろやかさやらが一体となったときの、あの不思議なバランスね。一口で好きになって、「マヨネーズもっとかけよう」ってボトルを手に取った記憶があるから、うん、ボトルのときもあった。企画した給食室としてもテストで、最初はかけたい子だけかければいいみたいな感じだったのかなあ。

 この新しい味が気に入った僕は、うちの晩ご飯が盛りそばのときに「いやっほーい」とマヨネーズをかけて、それはそれは、たいそう気持ち悪がられたのでありましたとさ。

2017年8月21日月曜日

一重ちゃん

 昨日の続きね。

 すっかり二重になった立場で昔の自分の写真を見てみると、片二重っていうのかな。左目だけが二重になってるときっていうのが結構あって。「疲れると二重になる」とか言ったり言われたりしてたことを思い出したりする。自分を一重まぶただと規定してたときは、とにかくこう、二重な自分を認めないからね。誰がどう見ても二重な今だからこそ、すんなり受け入れられる過去(笑)。

 若い頃って無駄に潔癖だったりするから、片っぽだけ二重っていうのが気持ち悪いっていうか、落ち着かないっていうかね。左右対称でなきゃバランスが悪いような気がして、髪の毛も真ん中で分けることしか考えられない。それが今じゃ坊主頭ですよおじいさんふぇっふぇっふぇっ。

 数年前、小学校の同級生女子とひっさしぶり、十何年ぶりかで会ったときにまず言われたことが「大きくなったね!」で、次が「声変わりしてる!」、その次が「あっ、二重になってる」だった。周りというか、仲の良かった同級生のイメージの中でも、僕はしっかり一重まぶただったということが、何とも不思議な安心を与えてくれたんだよね。

 アイデンティティであったとしても、わざわざ無理して、勝手に独りで一重であろうとしたとかね、そういう生き方をしてたわけじゃないんだな小学生の僕。っていう。

 自分を知ってくれている人がいるってことは、とても幸せなことで。

 一重か二重か、整形か整形じゃないかなんてことが取り沙汰されるのも、人がいかに人の目を見て生きているかの表れだから、捨てたもんじゃないような。

 それでもカラコンが売れてしまう世の中が、いかに記号的な情報に振り回されているかの表れのようで、ふっと哀しくなるような。

2017年8月20日日曜日

FUTAEちゃん

 弟の目が「ぱっちり二重」だったのもあって、自分の一重まぶたは自然とこう、僕のアイデンティティになっていた。妹もまたHITOE、いや一重だったから、「お兄ちゃんと妹さんはお母さん似ね」みたいな言い方をよくされていて、そういうつもりで生きていた。

 ところが、妹が高校に通っているうちに二重になってしまった。

 アルバイトで金がかゆいところに届くようになった、ではなくて。

 アレルギーで目がかゆいとこすっているうちに、なんか二重になってしまったという流れ。

 そんな馬鹿な、と思っていたら、僕も二十代のどこかで二重になってしまった。

 一重まぶたを自分らしいと思っていたので、「鏡を見て二重になっていたら必死こいて戻す」という闘いを日々繰り返して抵抗してたんだけど、ある日とうとう、どうやっても戻らない現実を認めなくてはならなくなった。

 その容姿が天然かそうでないのかという騒動は今日もどこかで発生してるんだろうけど、「望むと望まざるとにかかわらず、自然に二重まぶたになっちゃうってことはある」を身をもって体験してると、「同じ理由で今は二重だったり、誰かの整形問題に冷静に意見するけど、全然信じてもらえない人」がどのくらいいるんだろうなという方に興味が湧くよね。

 明日に続くよね。

2017年8月16日水曜日

気に入っても一人

 昨日の記事「森永のおいしい無脂肪乳がおいしい」の中で書いた、「牛乳瓢箪(ぎゅうにゅうびょうたん;気に入ったから読み仮名書く)」と「ねへぺろ」って言葉が気に入った。自分で書いて。何かじわじわ気に入った。

2017年8月15日火曜日

森永のおいしい無脂肪乳がおいしい

 牛乳売り場を見るたびに、無脂肪乳がいかに人気のない商品かということを思い知らされる。牛乳や低脂肪乳は「必ず置いてある」だけでなく、複数の銘柄から選べるようになっていることが多い。

 無脂肪乳はといえば、置いていないことも多いし、あるとしてもタカナシの「おいしい無脂肪乳」で、何かこう、鉄板商品みたいな扱いだなと思う。みんな大好きタカナシなのかなと。人気あるんだったらそれ買っとけばいいのかなと。

 だが断る。

 それしかないから結果的にそれが売れてるに過ぎないって側面もあるもん。無脂肪乳しか飲めない人は、どんな銘柄でも置いてあるだけでラッキーと思うもんだもん。もんだもんだもんだもん。

 僕は「森永のおいしい無脂肪乳」を推すもん。

 圧倒的に牛乳くさくない。荒川弘の漫画『百姓貴族』で「牛乳くさいのは高温殺菌のせい」みたいなのを読んだ僕は、「牛乳くさいのが苦手ならそれは牛乳を好きではないということだ」が真理ではないと知った(頭悪そう)。その立場からすれば、タカナシなどまだまだ牛乳くさい、牛乳瓢箪なのだァァァァッ!!

 牛乳の一般的な殺菌工程が牛乳の風味に問題を生むのであれば、何も生乳にこだわるこたあない、加工乳でもおいしければ良かろうなのだァァァァッと思う。んだもん。

 そんなこんなで、「森永の美味しい無脂肪乳」が置いてあると、「この店やるねえ、お客さんの声を拾ってるねえ」と思う。もちろん、個人の感想としてだけどねへぺろ。

2017年7月13日木曜日

二日目のカレー

 カレーじゃなくって、「二日目のおでん」でもいいんですけどね。

「二日目の」っていう時点で、まあ大抵の人にとって「家で作った」って意味になるでしょう。一般家庭の平均としてカレーが何日持つかは分からないけど、三日目を迎えることが多ければ「うちのカレー」は二日目以降のイメージが強くなる。それがそのまま「うちのカレーの味」として記憶され、語られていくという。

 まあ、そういうつまらない話をしてもしょうがない。

 カレーっていうのは油脂やスパイスを含めると、結構な数の材料からできてるわけです。それを肉を炒めて、野菜を炒めて、水入れてっていう鍋に投入して、パッケージに書かれた時間を意識しながら煮込む。

 色んなところからやってきた人たちが一つの鍋で、一つの料理になる。これは材料たちにとって、結構大変なことなんですな。「書かれた通りにしときゃカレーになるだろう」とか、「カレーなんて誰が作っても同じ味」とか、そんな簡単なことじゃない。

 タマネギの立場になってみましょうか。切られて形が変わる。炒められるときに熱と油、先にいた牛肉やら豚肉やらと一つになる。これだけでも結構な変化を求められるのに、さらに水と一体化することを求められ、炒められたときとはまた別の油脂、スパイス、素敵なものいーっぱいと仲良くならなきゃいけない。

 材料にはそれぞれが持つエネルギーやリズム、まあざっくり言えば「気」があって、それぞれに相性もあるわけです。みんなが溶け合って一つの料理、新しいエネルギーに変化するには、それなりに時間がかかる。

 みんなに楽しみにされてる間、材料たちはその愛情もエネルギーとして受け取って、じっくりおいしく、優しい一つのカレーになっていくわけです。

「やった、明日もカレーがある!」っていう思いはその家、家族一人ひとりの形があって、それもちゃーんと材料になる。母が子ににぎるおにぎりと同じように、うちのカレー、二日目のカレーは奥深く、豊かなおいしさなのであります。

2017年7月11日火曜日

手を切る、足を洗う

 手を痛める、足を痛める。怪我じゃなくっても、水虫とか湿疹とか、何かしびれるとか痛みが走るとか、今日もどこかで誰かの手足に、色んな不調が出ていることでしょう。

 よく使うところだから、物理的なトラブルだと捉えやすい手足。長引いている痛みや不調なんかは「古傷」なんて言って、「仕方がない」って感じで処理されちゃう。定着している言い回しだと、何かその、「世の中にはそういうことがあるんだよ」みたいな受け入れられ方をする。周りも本人も、なーんかすんなり受け入れる。

 そういう症例を見ると僕なんかはもう、すぐに「いやいやいやいや、ちょっと待ってよ」と思っちゃうけど、当の本人はすっかり切腹前の武士みたいな穏やかさで受け入れ顔。何なのその、達観してりゃいい、場合によってはかっこいいでしょ大人でしょみたいな感じは。

 じゃあいいよ、これならどうだ。

 古くからの言い回しには、「手を切る」とか「足を洗う」っていうのもありますわね。縁を切らなきゃいけない人間だとか、やめなきゃいけない習慣がある。この習慣ってのが厄介で、本人からすると「仕方ない」とか「でもまあ、そういう訳にもいかない」みたいなね。やめる気がないし、悪いことだとも思ってないんだね。

 やめりゃいいって言われたこともやめないで、「(この症状とは)付き合っていくしかないのかなーと思ってます」なんてね、真面目な顔して言っちゃう人が本当に多い。そういうおかしな真面目さと、「古傷」だとか「慢性」だとか、ぼんやりしてるくせに、いやぼんやりしてるからこそ適用範囲が妙に広くて、大義名分みたいになっちゃってる言い回しってのはもう、腐れ縁みたいな相性の良さでね。

 変に真面目な人だから、「長い付き合い」を大事にする。手を切ったり、足を洗ったりっていうのが苦手で、古傷だの慢性だのともう、どんどんどんどん仲良くなっちゃう。病院にもちゃんと通うしね、そういう人は。真面目の使い方をちょこーっと変えてやればいいんだけどね。

2017年7月10日月曜日

水虫

 水虫になると、「原因は白癬菌ですから、殺菌しつつ足を清潔にしましょう」というのがまあ、一般的な話。

 で、感染源はどこでしょうね、バスマットを共有していますかとか、玄関マットはお使いですかとか、そんな展開になります。

 そうするとこう、家族間で犯人捜しが始まったりしてね。「お父さんの後にバスマット使っちゃ駄目よヒソヒソヒソ」みたいな空気になってくる。いやこれ、別にお父さんじゃなくってもいいし、「水虫といえばお父さん」的なイメージのせいで女の人が言いにくくなって、密室的に広まっていくという、実はこれが水虫の恐ろしいところなんだけど。

 水虫のことをジメジメと扱うからいけないんで、カラッとオープンに扱えば簡単に治ったりする。今の人たちは真面目だから、みんな真面目に検索して真面目に治療しようと考えるんだけど、家や家族間の風通しを良くすることの方がよっぽど大事なんです。

 お医者さんに言われた通りにしてるのに治りが悪いなーっていうときは、そんなことも気にしてみると面白くなりますよ。

2017年7月7日金曜日

おにぎり、気と衛生

 みんな好き おにぎり、おむすび、 握り飯。

 広辞苑で「おむすび」って調べたら出て来たんで書いてみたんですけど、握り飯って聞かないですね、最近。「あ、ちょっとコンビニで握り飯買ってきて」みたいな。「めし」ってお前。粗野か。

「メシ食おうぜ」って言われると食欲が消え失せるのは僕だけですかね。潔癖っぽいですかね。

 あっ、そうそう(大声で手を叩いてパーン)、潔癖っていえばね!

 おにぎりを透明な手袋でにぎる、みたいな光景。あれもう、すっかり当たり前っぽくなってきましたね。あと何? 「おにぎらず」? 誰だお前。らずじゃねんだよ、おにぎれよ。

 おにぎり汚いみたいなこと言う奴は死nおほんおほん、おほほほーん。

 誰かを思ってにぎるおにぎりは美しいんです。

 今日は七夕。夜空を見上げてつぶやいてごらんなさい。

「誰かを思ってにぎるおにぎりは美しい。」

 ほーら、涙が出てきたでしょう。

 子どものために母親がにぎる、夫のために妻がにぎる。そういうね、顔の見えるおにぎりは食中毒とは無塩、あっ、そうそう塩。

 にぎるときにね、手に塩するでしょ。味がどうとかじゃなくて、あれお清めでね。塩は良いもの、誰かを思う気持ちと結びついて、おにぎりを気力充実スーパーフードに昇華させるんですね。

 殺菌とか消毒とか、そういうこと考えながらにぎると駄目です。

 あーちくしょう、めんどくせえなあって考えてたら駄目です。

 仕事としてにぎるおにぎりとか、誰かのためににぎったのに、横取りされるかもしれないおにぎりとか、そういうのはまあ、透明な手袋を使ってもいいかも。

 シンプルな料理ほど、腕というか、気持ちの違いが出ます。顔が見える料理っていうのは凄く大事。おにぎりなんて料理じゃないよという奴は死nごほんごほん。